"聞き上手"のぼやき

 

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自分のことは、一切喋らず、相手の話を聞くこと2時間ー、

なんてことが、わたしの日常ではよく起こります。

 

「聞き上手」などと言われることも少なくありません。

「人の話を聞くのが好きな人」と思われることも多々あります。

わたしからの積極的なアイコンタクト、相づち、相手の発言を言い換えて投げ返す、などの行為が、そういう印象を与えるようです。

 

そう思われることは基本嫌じゃありません。少なくとも「人の話聞けない奴」と思われるよりはずっといい。

 

でも本当のところ、実はわたくし、「聞き上手」などではなく、単なる「話し下手」なだけなんです。

 

目次

 

 話し下手を自覚した時

わたしは、小学校低学年の頃には既に、自分が話し下手だと認知していました。

わたしには2つ下の妹がいます。妹はわたしと対照的に、対人スキル、特にユーモアあふれる話術に長けていました。

 

年の近いわたしたちは、よく友だちも交えて一緒に遊びましたが、わたしは次第にある印象を抱くようになります。それは、わたしたち姉妹に対する、友人たちのリアクションがきっかけでした。

 

「あれ、わたしもしかしてすべってる?」

 

妹のトークで散々盛り上がった雰囲気が、わたしの発言で一気に沈化するのです。

それが2度、3度と回数を重ねるにつれ、単なる印象は確信へと変わります。

 

「ヤバ、わたしってつまんないんだ」

 

その時、つまらなそうにされる自分を、かわいそうだとは思いませんでした。むしろ、申し訳ない気持ちになりました。

自分自身、興味のない話を聞かされるのが大の苦手だからです。

退屈な話を聞かされる苦痛を知りながら、他者にそれを強いるべきじゃない、ごく自然にそう考えるようになりました。

 

それからわたしは成長するにつれ、自分から話す事に対しますます苦手意識を募らせていきます。話しを振られた時ですら、聞き手をエンターテインする話術すらもたない自分は、自分のことをペラペラしゃべる資格などない、と言わんばかりに可能な限り最短で自分の話を切り上げるようにしていたのです。

 

聞き役のニーズ

会話で自己開示をしないわたしは、 聞き役に回るようになり、2つのことに気付きました。

 

1つ目は、自分の拙い小話で相手の興味を惹こうとするより、聞き手に徹する方がはるかに楽だ、ということです。

 

そして2つ目は、「世の中には自分の話を聞いてほしい人がめちゃくちゃ多い」ということ。

 

なので、面白い話題など何一つ提供できずとも、「話し相手」としてのわたしの需要は不思議と尽きません。むしろ、大人になるにつれ「お茶」や「飲み」に誘われ、相談事を持ちかけられることが増えていきました。

 

わたしは喜びました。口を開く度、退屈そうな顔をされた幼い頃がウソのようでした。必要とされ、信頼されることに浮かれました。

 

ただし、わたしを相談相手に指名する多くが、共感や同意、または極端な場合は「余計な口を一切挟まずとにかく黙って話を聞いてくれる」ことなど、いわゆる「壁打ち」を望む人たちでした。

 

なぜならそれが、普段のわたしだからです。

自分の考えも、感想も、経験も、アドバイスも一切口にしない、物言わぬ壁。

 

彼らは2、3時間、長い時は4~5時間ほどひとしきり話したら、「今日は楽しかった」「話せて良かった」と満足げに帰っていきます。

そしてわたしは、そんな壁としての自分の介在価値を内心誇らしく思うのでした。

 

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聞き手としての耐久力の限界 

長年、聞き役としての自分に満足していたはずのわたしでしたが、それがここ数年、変わりつつあります。

 

誇りと満足感に代わって、虚しさと孤独感が胸の内を占めるようになりました。

 

というのも、ある考えがふと頭をよぎったのです。

 

「わたしは今まで何人もの人たちの話を何時間でも聴いてきたけど、わたしの話をわたしが満足するまで聴いてくれる人は、わたしにそれほどの関心を払ってくれる人は、一体どこにいるんだろう?」

 

つまり、自分も聴いてもらいたくなっちゃったのです。

というか、本当はずっと、聴いてもらいたかったのです。

 

何時間も一方的に言葉を浴びせておきながら、平等にこちらの話を聞く素振りすら見せない人たちに腹が立ったし、

 

一見、自分を信頼し、好意を持ってくれている、と信じていた友人・知人たちが、実はそれほどわたしに興味ないかもしれない、と思うと空しくなったし、

 

何よりも、とにかく自分に自信がなくて、それを素直に受け入れることもできず、聞き役に徹することで歪んだ自己承認欲求を満たした気になっていた自分に呆れました。

 

勝手に「聞き上手」のセルフイメージをガチガチに固めておきながら、理不尽な話です。自分をぶつける勇気はないけれど、相手に自分を受け止めてくれる気がハナからないのも寂しい、という点も我ながら随分面倒くさい。

 

結局、聞き上手だと思っていた自分の意識が真に向いていたのは、話し手を介してそれに耳を傾ける自分自身だったのでしょうね。

 

“聞き上手”だったわたしの今

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自分が世の中の大半と同じく「自分の話を聞いてほしい人間」だと自覚した今も、わたしは自分のことを話すのが下手です。

 

自分を偽ってでも相手の望む「聞き上手」を演じる方が、自分らしくあるよりも楽なのです。

 

たまに勇気をふり絞り自分のことを話してみて、相手が少しでも退屈そうなそぶりを見せれば、それがブレーキになることが多々あります。

 

相手の顔色を気にするあまり、言いたいこともロクに言えないそんなわたしの様子を、

「青信号がすぐ終わっちゃう信号で、渡りたくても渡れずグズグズしてる人みたい」

と夫は表現しました。言い得て妙だと思います。

 

失敗にばかり気を取られず、言葉をストレスなく投げられるように早くなりたいものです。

 

きゃとらに🐈 

 

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