話し合いから逃げた夫
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あれはまだわれわれ夫婦が大学在学中で付き合っていた頃のこと。ちょっとしたことからいさかいになりました。そこで「まぁまぁ話せばわかる」と話し合いをしようとしとしたところ、なんとコーヒーさんはきゃとらにを残し走り去ってしまったのです。
今では愉快な思い出ですが当時は唖然としました。
きゃとらにが話し合いを望んだ理由は、問題に関して互いの気持ちを伝えあい理解したい、そこから問題解決への糸口を一緒に探りたい、という意図があったからです。いいことばかりでしょ?そう思っていたのです。
ところがコーヒーさんは話し合いのテーブルにつきたがりません。理解が出来ませんでした。話し合わなければ問題は繰り返され、お互いを理解するチャンスは失われてしまうのに!そう思っていたのです。
そこである時何でもない時にどうして話し合いを嫌がるのか理由を聞いてみたのです。
言い負かされるから
それは「言い負かされるから」でした。
すごくシンプルな理由。コーヒーさんは他責や自己弁護が嫌いで日頃から積極的に避けています。だから口喧嘩は得意ではありません。だって口喧嘩は相手の責任の重さが自分よりも重いことを主張・証明し、結果自分に非がないと相手に認めさせなければならないからです。だからそれが嫌いで、尚且つやり慣れていないコーヒーさんはどうしても言い負かされるしかない。
なるほど、と思いつつ、しかしひっかかるものがありました。
コーヒーさんが自己弁護を得意としないのは百も承知。何もこちらは自分の気持ちだけを押し付けるつもりだったわけではありません。喧嘩両成敗。もちろんコーヒーさんの気持ちや考えを聞いた上で、お互いに何を改善すべきかを明確にする、それが自分の目指したい解決案の理想でした。
『問題』と『解決』ではなく『不満』と『改善』
しかしここでふと疑問が。
その『理想の解決法』を最終的に決定する判事はいったい誰だ?
考えてみれば自分はコーヒーさん側の事情を知り考慮する、とは言いつつ、仮に自分がおおむね非のある立場になったらそれを認めてコーヒーさんの提案する改善案を飲むつもりがあったのか(コーヒーさんは性格上改善案など提示しませんが)?
そうは思えませんでした。
もしそう思っていたとしたら、わだかまりが発生した時きゃとらにの最初のリアクションは「ごめんなさい」であり「ちょっと話し合おうか」ではなかったはず。
つまりきゃとらにが話し合いたかった『問題』はわだかまりの根本原因ではなく単なる個人的な『不満』。そして目指していたのは問題『解決』などではなく、不満を解消するための相手の行動『改善』。
そんな個人的感情を正当化するために事態の当事者でありながらお代官気取りで相手の事情徴収をし最終的に自分の裁量で物事に決着を付けようとすれば、コーヒーさんでなくとも誰でも怖くて逃げだしたくなります。
お互いの気持ちを棚卸し、お互いにとって居心地の良い接し方を模索したい気持ち自体はウソではありませんでした。
しかしその一方で相手の間違いを暴き、納得させ、正したいという独善的勧善懲悪を望む自分がいたのもまたゆるぎない事実。コーヒーさんに「言い負かされるから」と言われたときそのことに気付きました。
正当化でコーティングしない自分の気持ちを伝える
以来『問題解決』するのを止めました。つまり自分が気に入らないからと言って相手の行動を主観的に問題行動認定するのを止めようと心がけるようになりました。「心がけるようになりました」なんて予防線張っているくらいなので実態は気が付けば恐怖のお代官に逆戻りしていることもあるのですが。
脱・お代官を目指す代わりにやっているのは正しい・正しくないは抜きにして自分の気持ちや感情を相手に伝えることです。きゃとらには自分が正当化されて優位に立つのが大好きです。最悪ですし、気持ち悪いですがそれが事実です。
それとは逆に感情を吐露するのが苦手です。感情を理論武装するのは難しいからです。しかしコーヒーさんはきゃとらにの感情を実に巧みに受け止め理解しその上でどうするべきかをコーヒーさんはコーヒーさんで、きゃとらにはきゃとらにでそれぞれ考えます。考えのすり合わせをしないこともあります。
なので一発で理想的な結果が得られないことが多いです。でも「こうするべきだ」と押し付け合うよりも(押し付けていたのはきゃとらにだけですが)失敗しながら答え合わせを繰り返す方がわれわれ夫婦には合っているようです。
きゃとらに🐈
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