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みなさまこんにちは🐈
せっかく久しぶりの投稿にもかかわらず、例によってオチのない4コマ漫画からのスタートですがいかがお過ごしでしょうか。
我々夫婦は結婚4周年を迎えました。
人の気持ちは不変とはいかないのに、ここまで夫婦関係を維持できたのは正直とてもうれしいです。
しかも、世間では結婚4~5年目は離婚しやすいなどともささやかれていますが、我が家の関係はありがたいことに常夏円満(?)とはいえ未来のことは何とも言えないのですが現状はそんな心配もありません。
世間の先輩円満夫婦を見ていますと、いろいろな秘訣が見て取れます。
特に凄腕奥様の多いこと!男女を体の部位で例えるなら、男性は『顔』で、女性は『首』だ、というのを耳にしたことがありますが、女性が男性を上手に転がす、または男性が女性の掌で上手に転がることで円滑・円満な夫婦関係を実現しているみたいなんです。
我が家の『首』は夫
かく言う我が家も、わたくしきゃとらにが5歳上の姉さん女房。
もちろん夫・コーヒーさんを転がすなど造作もないか…と言えばそうでもないんです。
実は我が家は夫コーヒーさんが『首』、『顔』であるわたしの向きをあちらこちらへと器用に操作するんです。
そこで今回は、我が家の夫婦円満を支える夫コーヒーさんの工夫を妻視点で挙げてみようと思います。
※あくまで個人の経験・感想です。
目次
ありがとうを言う
1つめからいきなりありふれているように思えるかもしれませんが、これが意外とそうでもないんです。しかもコーヒーさんの「ありがとう」はわたしからすれば実にマメ。
ゴミ出しに、「ありがとう」(←閉め出されそうになるけど)
食事の支度に、「ありがとう」
洗濯に、「ありがとう」
…などなど、一つ一つにその都度「ありがとう」をくれます。
実はこれ、わたしにとっては新鮮です。まだ実家で暮らしていた頃、毎日家事をしてくれる母に対し、母の日に一年分の労をまとめてねぎらう意味「ありがとう」と言うことはあっても、コーヒーさんみたいに細々とお礼を言っていた記憶はありません。
コーヒーさんが外で働く分家のことは自分の領分だと思っていたため、毎日もらえる「ありがとう」はご褒美のように感じられました。
しかもコーヒーさんの「ありがとう」には下のようにいくつかバリエーションがあります。
・満面の笑みでシンプルにありがとう
・ハグでありがとう
・アイスクリームなどのちょっとしたお土産とありがとう
これでこちらのテンションはあがってしまうのです。
わたしがチョロイだけなのでしょうか。
頼み事は謙虚に
我々夫婦はどちらも九州の出身です。家庭にもよりますが、九州では男性を立てる文化が根強い地域もまだあります。
そんな地域では男性が胸を張り、「~しなさい」と自分の用事を済ますのに女性を遣わす光景が珍しくありません。
しかしコーヒーさんはそんな九州男児文化などなんのその。
頼みごとをする際の腰がめっちゃ低い。
実はこれ、わたしの実家の家族文化なんです。
我が家のモットーはズバリ『親しき中にも礼儀あり』。
頼みごとに命令口調などもってのほか。
わたしが学生の頃など、車で迎えに来てもらうのに「お疲れのところ申し訳ないのですが、車で迎えに来ていただけないでしょうか」と、大変恐縮しながら親に電話したものです(しかもそれでも断られることもある)。
コーヒーさんは典型的な九州男児文化の家庭で育ちましたが、わたしの家族文化を知るや否やこちらに合わせてくれました。
なので我が家ではお願いごとに以下のようなクッション言葉が欠かせません。
・申し訳ないけど
・忙しいとこごめんね
・もしよかったら
・~してもらえたら助かるんだけど…
前述の「ありがとう」で大変気分も良くしてもらった上にこの丁寧さ。これで大抵の要求は飲んでしまうのです(そして頼みごとをOKすると前述の『ありがとう』に戻る)。
わたしがチョロイだけなのでしょうか。
問題の際肝心なのは当事者意識、不満は相手に伝えない
この4年コーヒーさんに関して本当に驚いているのは、コーヒーさんがわたしに対する不満を言わないことです。
ポイントは、『言わない』という点。決して『ない』わけではないのです。
この4年間、特に結婚当初は価値観のズレによるすれ違いが何度かありました。
以前のわたしはどちらかというと、話し合って解決したい派。
しかし、話し合いを強引に迫った結果、コーヒーさんが逃げてしまったことがあったんです。
コーヒーさんが話し合いを拒んだ理由、それは話し合いの目的にありました。
話し合いはそもそもお互いのどういうところが間違っているかを意見交換し、改善策を模索するもの。しかしコーヒーさんはそもそも当事者意識が人一倍強い人のようでした。問題が発生するとコーヒーさんは即座に自身側の改善点を考え始めます。
他人を変えようとするほど不毛なことはない、と彼は思っているため、初めから他者の改善点など考えたりはしないようなのです。
そういわれてみれば、とわたしも考えます。
人の正義・不正、善悪の価値観というものは状況によりけりだし、さらに育った環境や考え方の中でその形を変化させていきます。
わたしは自分の信じる正義に固執してしまうことがあります。
ともすれば他者の正義に優先するかのように考えてしまうことがあるのです。
わたしの望む話し合いは時に自分の正義の鋳型に相手をねじこんでしまうことがあることに気が付きました。
コーヒーさんは相手に自分の都合に合わせるよう要求して自尊心を満足させることよりも、お互いが平和な気持ちで暮らしていく方を優先させようとしてくれていたのです。
もちろん、このやり方は向き不向きがあるうえに、自分が相手の欠点を受け止めきれなくなったストレスで爆発しないよう気を付ける必要はあるかと思います。
まとめ
こうして我々の夫婦関係について振り返ると、夫がいかに工夫をしてくれていたかが改めて分かりました。細かいことが多いですが、その積み重ねが4年間なんだな、と。
お礼に今晩は夫の好きなものを作ろうと思います。
きゃとらに🐈
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