人気者の対価

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わたしには、他者から好かれ、必要とされ、一緒にいたいと多くの人に思われる知り合いTがいる。

 

「人気者」

 

世間でそう称されるTはとにかく人懐っこい。

 

「相手に気まずい思いをさせることなく自分から話しかける」なんて(わたしにとっては)高等スキルを持ってるし、「自分から遊びに誘う」なんて(わたしにとっての)大技さえ朝飯前だ。

 

Tには人を楽しませる能力・気質がある。明るくにこやかで、素直で、程よく毒舌。

 

 

そしてTは自分をさらけ出すことに抵抗がない。

素の自分が好かれるのはもはや普通のことだから取り繕うこともない。顔立ちは普通だけど、メンタルは完全にすっぴん美人のそれなのだ。

 


Tには初対面であだ名をつけられ、2回目に会った時は、酔いちくれて「帰りたくない」とごねるTに、カラオケオールに付き合わされた(本人はいの一番に寝落ちた)。

 


意のままに振る舞いながらも、人からの好意を総なめにしていくTが、わたしは苦手であり、同時にうらやましくもあった。

 


しかしやがて気が付く。

 


Tには多くの友人がいる一方で、多くの「敵」もいた。

 

絶えず新たな出会いと関係構築に勤しむTは、友人と敵を同時進行で量産するのだ。

 


人との関係は、深まれば衝突のリスクもそれに比例して高まる。


人が大好きで、常に人と関わり生きるTには避けられない事態なのだろう。

 

 

中学生以来目にしたことのないような、周囲を巻き込んでの大ゲンカを、Tが他の誰かとするところを何度も見聞きした。

 


そんなTを見るにつけ、不謹慎とは知りつつも、ついつい安心してしまう自分がいた。

Tのような愛され上手も、人から嫌われたりするのか、と。

 


しかし、そんなことはものともせず、Tは今日も出かけていく。飲みでも、ライブでも、バーベキューでも、人の集まる所ならどこへでも。

 

何度衝突や争いを繰り返そうと、人と共有する瞬間から得られる喜びには代えられないから。あと単純に人が大好きだから。

 

そんなTのことをわたしはもはや、苦手にも、うらやましく感じることもなくなった。

代わりに芽生えたのは尊敬の念。


しかしわたしが尊敬するのは、Tの並外れたフレンドリーさでも、エンターテイメント性でも、ましてや高い自己肯定感でもない。

 

何度となく傷ついても絶えず人とつながり、人が好きだと言えるタフさだ。

 

 

人気者にとって、人間関係はイージーモードなのだとばかり思っていた。

少なくともわたしなんかよりは。

しかしTに出会って、何事にも対価があることを知った。多くの人との友情や、一見円滑な人間関係にさえも。

 


人間関係に傷つくことを恐れ、避けてばかりの自分には、Tをうらやましがる資格すらなかったのだ。

 

 

 

 

きゃとらに🐈 

 

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