ずっと友だち だが時は経ち…

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『トモダチ』ケツメイシ 歌詞付き

 

 

来月、かれこれ15年は顔を合わせてない友だちと会うことになりました

 

友だち トモダチ

 

フェイスブックでつながっている以外まともに連絡を取り合うこともなかった彼女と、こうして再会を果たせるのは特別なことだと思うし、嬉しい

 

 

ただ、実は不安も多少あるんです

今回はそのことについてお話ししたいと思います

 

 

 

子どもの頃、仲の良い友だちができると、ずっと仲良しでいたいと思ったし

できると信じて疑わなかったものです

 

 

ところが、あれからウン十年、LINEもSNSも普及しているというのにすっかり筆不精

久しぶりに会う、なんてことも正直気は進みません

 

友だち トモダチ

 

『仲の良かった友人』であればあるほど

 

 

理由は単純で、互いに会わなかった時間が、『仲の良かった友人を』まったくの別人に変えてしまうことがあるからです

 

 

 

どういうことかって?

 

 

 

フェイスブックやLINEでメッセージ飛ばしても返事が3日後になったり

やっと来た返事も、相手からの返信で会話が完結するように文章が構成されてたり

優しさや気遣いは感じられるけど、それらがかえってよそよそしく感じられたり

極めつけは久しぶりに顔を見たとき、

「久しぶり」よりも「はじめまして」の方がよっぽど似つかわしいんじゃないか、ってくらい、相手の表情にこちらに対する親愛の情を読み取れなかったりすると

 

  

 

その人と自分は本当にかつて仲が良かったんだろうか?なんて疑いたくなります

なぜ、相手はそんなにも変わってしまったのか?

というか、変わってしまったのは相手なのか?

それとも、自覚がないだけで実は、変わってしまったのは自分の方なのか?

 

  

 

変わること自体は、普通に考えれば至極当然のことだし、別に悪いことじゃありません

わたしだって様々な変化を経ているわけですから

相手にだけ変わらずにいるのを求めることはナンセンスだし、だいいち不可能です

 

 

 

それでも、親密だったはずの関係が、無味乾燥な現在に上書きされるのを目の当たりにするのは空しい

楽しかった思い出すら、その色を失うようで

 

 

 

 

あぁ、そうか

わたしは、

友人にとって、自分という存在が以前ほど大切でなくなった事実に直面するのが嫌なんだろうな

 

 

でも、そういうわたしだって

夫と出会ってこのかた、彼がわたしの世界の中心になりました

 

だから友人と予定を作るなら専ら平日の夜6時まで

それ以外、特に週末は、夫と一緒にそれもできれば2人きりで過ごしたい

 

夫だけではありません

大事な人が増えると、その都度、友人の重要度や優先順位は見直されるのです

 

 

そんな自分は棚に上げて、

自分だけは昔と変わらず大事に思われたい

存在価値の下落なんて味わいたくない、だなんて

 

手前勝手な話なのでしょうね

 

 

 

 来月、15年ぶりに会う友人とはどうなるかな

 


ケツメイシ / 友よ ~ この先もずっと・・・ MV

 

 

なんでケツメイシ?って思いました?

『長年の友情』について考えると必ず思い出すんですよね 

良かったら聴いてみて… 

 

 

きゃとらに🐈 

 

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